奈良吉野町のジャズ喫茶「古民家パーラーフクバタケ」

ジャズピアニストが田舎に移住した6つの理由

ジャズピアニストが田舎に移住した6つの理由

私は、ジャズピアニストの夫と、2020年に大阪阿倍野から奈良吉野町に移住しました。

心斎橋で20年、阿倍野で5年、その前は、ニューヨーク、東京。

学生時代を除いては人生のほとんどを摩天楼のある街で暮らしてきた夫ですが、移住には迷いがありませんでした。

大阪にいるあいだは仕事に困ることもなくそれなりに快適な生活をしていましたが、お金持ちでも有名人でもないので決して悠々自適の移住ではありません。

私自身の心の整理も兼ねて、それでも田舎に移住せずにいられなかった理由を挙げたいと思います。

都会では災害が怖すぎる

災害は予測のつかないものなので日本のどこにいても安全ということはありません。

その災害が起きたとき、都会ではパニックが起こるのではないかと考えました。

都会では人口の多さやライフラインの弱さなど、災害規模以上の被害が起こることがしばしばです。

田舎であれば、たとえ孤立しても、都会よりは乗り切る力があるのではないかと考えました。

借家で暮らすには荷物が多すぎる

主人はピアニストなので当然ピアノは持っているのですが、録音スタジオもあるので、たいへんな量の機材を持っています。

大阪で借りていた家は戸建だったのでピアノも機材も置いておくことができましたが、他人の家である以上、いつかは出ていかなければなりません。

自分の事情で引っ越すのあればまだ良いのですが、大家さんの事情、あるいは、災害で引っ越しをしなければならなくなるケースも考えられます。

若くなく、子供もなく保証人もいない私たちが、これから、グランドピアノを置くことのできる家、音を出すことのできる家を借りるのはとても難しい。購入するのはもっと難しい。

荷物を預けるあてのない私たちは、いつもすべてを失う覚悟をしていなければなりませんでした。

吉野の空き家を購入して、全ての荷物を運び込んだときは、これからこの荷物のことを考えなくていいのだと思うだけでも本当に肩の荷がおりました。

自然の多い環境へ行きたかった

夫は大阪府茨木市の出身ですが、66歳の夫が子供の頃は、家のまわりは田んぼばかりでした。

どろだらけになって遊んで育った夫は、自然の多い場所に行くと本当に喜びます。

本能的なタイプの夫にとって、自然に触れることは演奏にもよい影響を与えるのではないかと思いました。

また、よい空気や水、農作物のある田舎にいれば体のコンディションもよくなり、そちらも演奏によい影響を与えることができると考えました。

実際に、吉野に移住してから、まだ一年は経っていませんが、夫も私も風邪をひくこともなくなり、演奏はより自由に、そして、強靱になりました。

都会での仕事は先が見えてきた

ジャズスクールの経営、コンサート、ライブ、CDのリリース・・

大阪でできるだけのことをして結果を出してきて、また、仕事場も手狭になっていました。

次のステップに進むにあたり、より大きな都会へ行っても、同じ仕事が増えるだけでただ忙しくなるだけだろうと予測しました。

それであれば、田舎に強い拠点をつくり、発信するかたちをつくるほうが、老後の準備も含めてより発展的ではないかと考えました

そんな私たちでも、カフェのオープンはまったく計画にないことでした。

カフェの経緯についてはまたお話させていただきます。

ヒキコモリ生活をしていたので、都会の恩恵をほとんど受けていなかった

アメリカでは思う存分演奏活動をしていた夫でしたが、日本に戻ってきてからは、録音と配信に重きを置いて、ジャズミュージシャンの多くが仕事場としているライブハウスにはほとんど出演していませんでした。

大阪生活も最後のほうになると、演奏活動は会場を自分で借りてコンサートをするようになり、さらにライブハウスから足が遠のきました。

音楽家にとって都会のよいところは、ライブハウスをはじめ、仕事がたくさんあるところです。そのライブハウスに出演しないので、当然ジャズミュージシャンとのつながりも少なく、演奏活動においては、都会にいる意味を感じていませんでした。

また、大阪にいた頃の私たちの生活は、午後1時起床、午前6時就寝の完全昼夜逆転生活で、日中はほとんど外へ出ることがなく、かといって、お酒を飲む習慣もなかったので、日没後も、買い物に少し出るくらいで、ほとんどヒキコモリの生活でした。

都会にいることでジャズスクールの経営は順調でしたが、そのぶん地代も高く、私たちが都会で受けた恩恵といえば、夜遅く出歩いても買い物ができたということくらいだったので、都会の生活には未練がありませんでした。

インターネット通信によるジャズレッスンの環境を整えることができた

夫の収入のほとんどは、ジャズスクールで得ています。

大阪ではプロ・アマ含めて2000人の卒業生を送り出していました。

近年はYouTube等インターネットの影響で、日本全国、時には外国からの問い合わせが来るようになり、もとより、オンラインレッスンの整備を急いでいました。

Skype、ZOOMなど、ネットには溢れるほどのアプリが揃っているので、オンラインレッスンを始めるだけなら簡単ですが、レベルの高いレッスンをするためには、対面と通信の違いを踏まえたカリキュラムを組まなければなりません。

試行錯誤したので数年の時間がかかりましたが、このシステムの完成によって日本中だけでなく、世界中のどこからでもレッスンを行うことができるようになりましたので、田舎への移住計画にGOサインを出すことができました。

夫はアーティストですが、ギャラで報酬を得る仕事をセーブしていて、スクールにしろ、コンサートにしろ、自分で企画、運営して収入にする方針でいたことがフットワークの軽さにつながったようです。また私たちも打撃を受けたコロナ禍ですが、移住するにあたっては、オンラインの普及など、プラスの面もありました。